とある日の那覇に向かう途中。
いつもの様に離れ島のD滑走路から離陸して、すぐに右旋回。
東京アクアラインを眼下に見ながら順調に上昇していました。
横浜中心部が見えたら、すぐに雲を突っ切り遠くには富士山が頭を雲の上に出している。
そんな状況の中、雲の切れ間から地上をみると、
うん?
なんじゃこれ?
厚木基地の手前に不思議な円形をした、土地が見えます。
夕方だし、薄っすら曇っているので、イマイチ見えませんが、なんだか不思議な土地です。
横浜に巨大ミステリーサークル出現!?
ナスカの地上絵のように、地上からではわからずに空からしかわからない?
もしかして、巨大空飛ぶ円盤が着陸して、地域住民の方は、
メン・イン・ブラックの ピカッ! をされて何も無かったことにされている?
これに気が付いてしまった俺も、命を狙われるのか?
なわきゃないわな(笑)
那覇に到着後、さっそく調査開始です。
グーグルマップで見てみると、合成写真?と思えるような不思議な感じ。
住宅地に緑の円盤が浮かんで見えます。
通信隊グラウンド?
やはり、なにやら極秘施設の匂いがする。
そこで、「横浜 円形土地 通信隊」で検索してみると
深谷通信所
とヒット。
旧日本海軍の基地と判明。
それを在日アメリカ海軍が基地利用して、2014年に日本に返還されたらしいです。
詳しく知りたい方は、前述の検索条件、または深谷通信所で検索願いますね。
通信所だから円形なんでしょうかね?
まだまだ、戦争時代の遺構が残っているのですね。
返還されたのだから、これから再開発がされるのでしょうけど、歴史的な物・事実もしっかり残してほしいと思います。
当時の通信施設と言えば、近所に(愛知県刈谷市)
依佐美送信所がありました。
いまは撤去されて、アンテナの一部が博物館に保存されているだけになりましたが、日常の風景として、しっかり記憶に刻まれています。
広大な敷地に(といっても田畑ですが)高さ250mの赤白塗装の鉄塔が8基(4×2列)建ち、見知らぬ人にはたぶん異様な光景でした。
名古屋のシンボルであるテレビ塔より70mも高く、さらに鉛筆を立てたような構造でテンションで支えられている。
わたしは子供心に、スゲー建造物だし、街のシンボル、誇りの様に思っていましたけどね。
撤去されるときは、とても寂しく思ったものです。
この施設、太平洋戦争開戦の号令「ニイタカヤマノボレ」を潜水艦に向けて発信した施設と言われていますし、戦後はアメリカ軍に接収されて、超長波の発信設備のため、原子力潜水艦との通信に利用していたとの噂が。
なので、第3次世界大戦が始まったら、ソ連の核ミサイルが真っ先に飛んでくるなんて、まことしやかな話がありました。
まあ、いまは衛星技術が進んで、こんな超弩級なアナログ施設は無用の長物となってしまった訳ですけどね。
横浜のミステリーサークルから、愛知の依佐美送信所の話になってしまいましたが、戦争の遺構は、しっかりと保存してほしいですね。
それをみてどうとらえるのは自由ですが、いまの我々の平和な生活があるのは、その時代の方々の努力であることは間違いないのですから。
・深谷通信所
いつか現地を訪れてみたいですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E8%B0%B7%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%89%80
・依佐美送信所
なかなか立派な記念館があり、周辺は公園として整備されています。
歴史の勉強にもなりますし、電気通信の勉強にもなりますよ。
ワードレオナード方式なんて、教科書の中でしか知らなかったけど、こうやって使うんだ!みたいなね。
https://yosami-radio-ts.sakura.ne.jp/
http://garden-yosami.jp/facility/transmitter.html
おまけ
富士山と南アルプス連峰